日本の歌

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すずめの学校 唱歌と時代背景

童謡にして唱歌でもある「すずめの学校」は、その内容や時代背景からも
同じ唱歌の「めだかの学校」と比較されるなどしばしば議論の的になっています。


その歌詞の内容から
「先生である大人雀がムチを振るって命令している」
「生徒の子供雀は自我を抑え年長者や国の施策を愚直に守るべし」
そして
「ことばを持たない雀の唯一ともいえる自己表現の鳴き声、
”チイパッパ”こそが共通言語」
「戦争まっしぐらの旧大日本帝国では国民が一丸となって
同じあいことばをもって国を信じて守り抜くべし」



こうした趣旨の解釈をする言語学者などの専門家が目立つのは
やはりその歌詞の内容に連想させるものがあるものがあるともいえるでしょう。
また同じような分野の曲としての「めだかの学校」との
比較もあるのかもしれません。
参考のために両方の歌詞を載せておきます。
興味があれば機会を見て両方を歌う、口ずさんでみるのがおすすめです。







すずめの学校
チイチイパッパ チイパッパ
すずめの 学校の 先生は
ムチを 振り振り チイパッパ
生徒の すずめは 輪になって
お口を そろえて チイパッパ
まだまだ いけない チイパッパ
もいちど 一緒に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ




めだかの学校
めだかの 学校は 川の中
そっと のぞいて 見てごらん
そっと のぞいて 見てごらん
みんなで おゆうぎ しているよ
めだかの 学校の めだかたち
だれが 生徒か 先生か
だれが 生徒か 先生か
みんなで 元気に 遊んでる
めだかの 学校は うれしそう
水に 流れて つーいつい
水に 流れて つーいつい
みんなが そろって つーいつい



どうぶつのうた[CD][2枚組]


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鉄道唱歌 東海道 その一

鉄道唱歌


明治時代に入った日本では
国民の教育水準を向上させる
取り組みが成され
小学校をはじめとする
初等教育の改革が進みました。


そのような背景のもと作詞、作曲されたのが
鉄道の数え歌である鉄道唱歌です。
この鉄道唱歌、実はなんと全5集、
334番もの内容を誇るとても長い曲です。


第1集東海道編第1番の歌詞
「汽笛一声新橋を 
はや我汽車は離れたり」は
国鉄以前の時代から有名で広く知られています。
長距離列車のアナウンスで記憶に残っている
人も多いことでしょう。


「地理教育鐵道唱歌」という
名前に含まれるように
元々は子供の地理の学習のために作られた
教育的な側面の大きい曲です。
楽曲を楽しみながら日本各地の
地域風土になじんでもらおうという
狙いがあったのかもしれませんね。


長く膨大な詞の中に沿線の地理や歴史、
民話や伝説、名産品の紹介を折り込んだ
この鉄道唱歌。
子供たちはもちろん、大人の間でも人気の歌となりました。
そのため、発表直後からパロディやジョークを含んだ
模倣作品が多く製作されました。





一  汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
   愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として

二  右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ
   雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも

三  窓より近く品川の 台場も見えて波白き
   海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州か

四  梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の
   大師河原は程ちかし 急げや電気の道すぐに

五  鶴見神奈川あとにして ゆけば横浜ステーション
   湊を見れば百舟(ももふね)の 煙は空をこがすまで

六  横須賀ゆきは乗替と 呼ばれておるる大船の
   つぎは鎌倉鶴が岡 源氏の古跡や尋ね見ん

七  八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹(おおいちょう)
   別当公暁のかくれしと 歴史にあるは此陰よ

八  ここに開きし頼朝が 幕府のあとは何(いづ)かたぞ
   松風さむく日は暮れて こたへぬ石碑は苔あをし

九  北は円覚建長寺 南は大仏星月夜
   片瀬腰越江の島も ただ半日の道ぞかし 

一〇 汽車より逗子をながめつつ はや横須賀に着きにけり
   見よやドックに集まりし わが軍艦の壮大を





一一 支線をあとに立ちかへり わたる相模の馬入川(ばにゅうがわ)
   海水浴に名を得たる 大磯みえて波すずし

一二 国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とほからず
   箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より

一三 いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山駅
   今もわすれぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ

一四 はるかにみえし富士の嶺(ね)は はや我そばに来りたり
   雪の冠(かんむり)雲の帯 いつもけだかき姿にて

一五 ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん
   高さは一万数千尺 十三州もただ一目

一六 三島は近年ひらけたる 豆相(ずそう)線路のわかれみち
   駅には此地の名を得たる 官幣大社の宮居あり

一七 沼津の海に聞えたる 里は牛伏我入道(うしぶせがにゅうどう)
   春は花咲く桃のころ 夏はすずしき海のそば

一八 鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて
   今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟  

一九 世に名も高き興津鯛 鐘の音ひびく清見寺
   清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山

二〇 三保の松原田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を
   波にながむる舟人は 夏も冬とや思ふらん

二一 駿州一の大都会 静岡いでて阿部川を
   わたればここぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞(ほら)の道

二二 鞘より抜けておのづから 草なぎはらひし御剣(みつるぎ)の
   御威(みいつ)は千代に燃ゆる火の 焼津の原はここなれや

二三 春咲く花の藤枝も すぎて島田の大井川
   むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと

二四 いつしか又も暗(やみ)となる 世界は夜かトンネルか
   小夜の中山夜泣石 問へども知らぬよその空

二五 掛川袋井中泉 いつしかあとに早なりて
   さかまき来る天龍の 川瀬の波に雪ぞちる

二六 この水上にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき
   雪と氷の懸橋を わたるは神か里人か

二七 琴ひく風の浜松も 菜種に蝶の舞坂も
   うしろに走る愉快さを うたふか磯の波のこゑ

二八 煙を水に横たへて わたる浜名の橋の上
   たもと涼しく吹く風に 夏ものこらずなりにけり

二九 左は入海しづかにて 空には富士の雪しろし
   右は遠州洋(なだ)ちかく 山なす波ぞ砕けちる

三〇 豊橋おりて乗る汽車は これぞ豊川稲荷道
   東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡

三一 見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を
   矢矧(やはぎ)の橋に残れるは 藤吉郎のものがたり

三二 鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を
   下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狭間

三三 めぐみ熱田の御やしろは 三種の神器の一つなる
   その草薙の神つるぎ あふげや同胞四千万

三四 名だかき金の鯱は 名古屋の城の光なり
   地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼も見てゆかん 


決定版! 鉄道唱歌


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鉄道唱歌 東海道 その2




鉄道唱歌


三五 父やしなひし養老の 滝は今なほ大垣を
   三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに

三六 天下の旗は徳川に 帰(き)せしいくさの関ケ原
   草むす屍(かばね)いまもなほ 吹くか胆吹(いぶき)の山おろし

三七 山はうしろに立ち去りて 前に来るは琵琶の海
   ほとりに沿ひし米原は 北陸道の分岐線

三八 彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥ヶ餅
   かはる名所も名物も 旅の徒然(とぜん)のうさはらし

三九 いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ
   その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ

四〇 瀬田の長橋右に見て ゆけば石山観世音
   紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に

四一 粟津の松にこととへば 答へがほなる風の声
   朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ

四二 比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり
   矢走にいそぐ舟の帆も みえてにぎはふ波の上

四三 堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘
   夕ぐれさむき唐崎の 松にや雨のかかるらん

四四 むかしながらの山ざくら にほふところや志賀の里
   都のあとは知らねども 逢坂山はそのままに

四五 大石良雄が山科の その隠家はあともなし
   赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山

四六 東寺の塔を左にて とまれば七条ステーション
   京都々々とよびたつる 駅夫のこゑも勇ましや

四七 ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地
   今も雲井の空たかく あふぐ清涼紫宸殿

四八 東に立てる東山 西に聳(そび)ゆる嵐山
   かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川





四九 祇園清水智恩院 吉田黒谷真如堂
   ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮

五〇 夏は納涼(すずみ)の四条橋 冬は雪見の銀閣寺
   桜は春の嵯峨御室 紅葉は秋の高雄山

五一 琵琶湖を引きて通したる 疏水の工事は南禅寺
   岩切り抜きて舟をやる 知識の進歩も見られたり

五二 神社仏閣山水の 外に京都の物産は
   西陣織の綾錦 友禅染の花もみぢ

五三 扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず
   みやげを提げていざ立たん あとに名残は残れども

五四 山崎おりて淀川を わたる向うは男山
   行幸ありし先帝の かしこきあとぞ忍ばるる

五五 淀の川舟さをさして くだりし旅はむかしにて
   またたくひまに今はゆく 煙たえせぬ陸(くが)の道

五六 おくり迎ふる程もなく 茨木吹田うちすぎて
   はや大阪につきにけり 梅田は我をむかへたり

五七 三府の一に位(くらい)して 商業繁華の大阪市
   豊(ほう)太閤のきづきたる 城に師団はおかれたり

五八 ここぞ昔の難波の津 ここぞ高津の宮のあと
   安治川口に入る舟の 煙は日夜たえまなし

五九 鳥も翔(かけ)らぬ大空に かすむ五重の塔の影
   仏法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ

六〇 大阪いでて右左 菜種ならざる畑もなし
   神崎川のながれのみ 浅黄にゆくぞ美しき

六一 神崎よりはのりかへて ゆあみにのぼる有馬山
   池田伊丹と名にききし 酒の産地もとほるなり

六二 神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかずかずは
   亜米利加露西亜支那印度 瀬戸内がよひも交じりたり

六三 磯にはながめ晴れわたる 和田のみさきを控へつつ
   山には絶えず布引の 滝見に人ものぼりゆく

六四 七度(ななたび)うまれて君が代を まもるといひし楠公(なんこう)の
   いしぶみ高き湊川 ながれて世々の人ぞ知る

六五 おもへば夢か時のまに 五十三次はしりきて
   神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩

六六 明けなば更に乗りかへて 山陽道を進ままし
   天気は明日も望(のぞみ)あり 柳にかすむ月の影


童謡唱歌


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こきりこ節

五箇山の民謡 こきりこ



「越中おわら」で知られる富山県には
「古代神」「麦屋節」
「といちんさ節」「せりこみ蝶六」など
民謡が多数あります。
中でもとりわけ有名なのが
五箇山地方の民謡「こきりこ節」でしょう。



「はれのサンサもデデレコデン」という囃子は
音楽の教材に採用されていたこともあり
地元の富山県以外でもよく知られています。





毎年9月になると農作物の収穫を祝い
南砺市城端町ではむぎや(麦屋)祭、
そして五箇山の白山宮では
こきりこ祭が開催されます。



綾蘭笠をかぶり狩衣を着て
ささらという楽器を持って
踊るいでたちは現存する日本最古の
田楽のひとつで貴重な存在といえます。
地元だけではなく他県にも愛好者は多く
実際にこの祭礼を見るため
毎年のように全国各地から
多くの観光客が押し寄せるそうです。



このときに使用されるささらという楽器は
地元のお土産屋さんで買うことができます。
編目を上にして「カチャカチャ」と鳴らすのは
結構技と力が必要で一種の職人芸といえるでしょう。





こきりこ節

こきりこの竹は 七寸五分じゃ
長いは袖(そで)の じゃまにカナカイじゃ
マドのサンサは デデレコデン
ハレのサンサも デデレコデン

踊りたか踊れ 泣く子をいくせ
ささらは窓の もとにある
マドのサンサは デデレコデン
ハレのサンサも デデレコデン

向かいの山を かづことすれば
荷縄(になわ)が切れて かづかれん
マドのサンサは デデレコデン
ハレのサンサも デデレコデン


北陸民謡


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どじょうすくいで有名な安来節

どじょうすくい


安来千軒名の出た所 社日桜に十神山
出雲旅路で安来のまちは 忘れられない唄どころ
何はなくとも出雲へござりゃ 心尽くしの安来節
出雲名物荷物にならぬ 聞いてお帰れ安来節





江戸時代の末期にその原型ができたと言われる安来節。
春の花見シーズンに開催される「お糸まつり」という名は
安来節の知名度を全国区のものとした
渡部お糸を称えたものだといいます。
この安来節と切っても切れない関係にある
どじょうすくい踊りと共に
その歴史の深さとルーツを探ってみましょう。


安来節の起源は、今から三百年余り前、
まだ明治維新前の江戸時代のさなかのことです。
時は元禄太平の世、ちまたでは大衆文化が花開き
歌舞音曲の流行華やかなりし頃でありました。
その頃の、出雲の国の安来の郷はというと
波静かなる中海に面した天然の良港。
ここでは奥出雲地方で採れた米や砂鉄を搬出するため
物資の集散地そして山陰地方の一大主要拠点として
大いなる繁栄をきわめていました。


その頃はは全国津々浦々を巡る北前舟等の寄港も少なくなく
船乗りの出入りは激しいかったようで
彼らを通じて一娯楽としての民謡の交流も盛んでした。
「佐渡おけさ」「追分節」等々の民謡がよく歌われていたことが
当時の記録から分かっています。




そんな折、船乗達で賑わう安来の花街には
「おさん」という美声の芸妓がおり、
これらの民謡をベースに自分でアレンジいたしたものを
「おさん節」と称して節回し面白く歌っていたものが
今日の安来節の原形だといわれています。


文明開化の明治になって
安来の郷の研究熱心な人々の手によって
「おさん節」に研鑽労苦が重ねられて
未完成であった安来節の姿が徐々に
整えられていきます。
そうしてこの安来節は出雲地方で大流行しました。
さらに明治44年には正調安来節保存会が創設。
名実共に安来節を不動のものにしました。




そして大正時代に入りのちの安来の名誉市民となる
「渡部お糸」という芸達者な女性が
三味線の名人「富田徳之助」と共に一座を組み全国巡業。
その際に、行く先々で大好評を博した結果、
一介の地方民謡だった安来節は全国区の地位にまで
押し上げられるることとなりました。
そしてついには、当時の芸能人の憧れの的であった
東京鈴本亭の舞台に立ち、大衆芸を芸術の域にまで高めました。


お糸一座の活躍はまだまだ止まるところを知りませんでした。
東京・大阪に安来節の上演専門館まで誕生させるのみならず
朝鮮半島・台湾・中国東北地方にまで遠征し巡業。
日本だけでなくアジアにも安来節を広めました。





そしてなんといってもこの安来節と共に生きてきたのが
皆様お馴染みの「どじょうすくい踊り」。
「あら、えっさっさ~」の掛け声とともに始まる
この踊りの由来は江戸時代末期にまでさかのぼります。


いつの時代でも「のんべえ」はいたもので
それは安来の郷とて例外ではありません。
ある日のこと、ドブロク徳利を後生大事に抱えた
「のんべえ」達が近くの小川で捕ってきた泥鰌を肴に
いつもの酒盛りを始めました。
そんな時、ほろ酔い気分も手伝ってか
その泥鰌を掬う仕草を安来節に合わせて
即興的に踊ったのがその始まりだといわれています。


初めは野良着姿の野暮ったい
「どじょうすくい」踊りでしたが、長い歳月を経て
リズミカルに形作られていきました。
そしてお糸一座の活躍とも相まって、次第に宴席をはじめとする
大衆の生活の中に溶け込んでいきました。
今では「安来節」と言えば「どじょうすくい」を連想されるくらい
切っても切れない、一心同体の間柄になっています。


全国にその名を知られ多くのファンを持つ「安来節」。
それは、安来の人々が育んできた暮らしの唄です。
歴史の変遷を経て来た現在の安来市に
その軽快なリズムが流れるとき、
米や砂鉄の積み出し港として賑わった
往時のたたずまいを偲ぶことができることでしょう。


今日から踊れる!! どじょうすくい 安来節


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