2008年05月

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鉄道唱歌 東海道 その2




鉄道唱歌


三五 父やしなひし養老の 滝は今なほ大垣を
   三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに

三六 天下の旗は徳川に 帰(き)せしいくさの関ケ原
   草むす屍(かばね)いまもなほ 吹くか胆吹(いぶき)の山おろし

三七 山はうしろに立ち去りて 前に来るは琵琶の海
   ほとりに沿ひし米原は 北陸道の分岐線

三八 彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥ヶ餅
   かはる名所も名物も 旅の徒然(とぜん)のうさはらし

三九 いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ
   その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ

四〇 瀬田の長橋右に見て ゆけば石山観世音
   紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に

四一 粟津の松にこととへば 答へがほなる風の声
   朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ

四二 比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり
   矢走にいそぐ舟の帆も みえてにぎはふ波の上

四三 堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘
   夕ぐれさむき唐崎の 松にや雨のかかるらん

四四 むかしながらの山ざくら にほふところや志賀の里
   都のあとは知らねども 逢坂山はそのままに

四五 大石良雄が山科の その隠家はあともなし
   赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山

四六 東寺の塔を左にて とまれば七条ステーション
   京都々々とよびたつる 駅夫のこゑも勇ましや

四七 ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地
   今も雲井の空たかく あふぐ清涼紫宸殿

四八 東に立てる東山 西に聳(そび)ゆる嵐山
   かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川





四九 祇園清水智恩院 吉田黒谷真如堂
   ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮

五〇 夏は納涼(すずみ)の四条橋 冬は雪見の銀閣寺
   桜は春の嵯峨御室 紅葉は秋の高雄山

五一 琵琶湖を引きて通したる 疏水の工事は南禅寺
   岩切り抜きて舟をやる 知識の進歩も見られたり

五二 神社仏閣山水の 外に京都の物産は
   西陣織の綾錦 友禅染の花もみぢ

五三 扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず
   みやげを提げていざ立たん あとに名残は残れども

五四 山崎おりて淀川を わたる向うは男山
   行幸ありし先帝の かしこきあとぞ忍ばるる

五五 淀の川舟さをさして くだりし旅はむかしにて
   またたくひまに今はゆく 煙たえせぬ陸(くが)の道

五六 おくり迎ふる程もなく 茨木吹田うちすぎて
   はや大阪につきにけり 梅田は我をむかへたり

五七 三府の一に位(くらい)して 商業繁華の大阪市
   豊(ほう)太閤のきづきたる 城に師団はおかれたり

五八 ここぞ昔の難波の津 ここぞ高津の宮のあと
   安治川口に入る舟の 煙は日夜たえまなし

五九 鳥も翔(かけ)らぬ大空に かすむ五重の塔の影
   仏法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ

六〇 大阪いでて右左 菜種ならざる畑もなし
   神崎川のながれのみ 浅黄にゆくぞ美しき

六一 神崎よりはのりかへて ゆあみにのぼる有馬山
   池田伊丹と名にききし 酒の産地もとほるなり

六二 神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかずかずは
   亜米利加露西亜支那印度 瀬戸内がよひも交じりたり

六三 磯にはながめ晴れわたる 和田のみさきを控へつつ
   山には絶えず布引の 滝見に人ものぼりゆく

六四 七度(ななたび)うまれて君が代を まもるといひし楠公(なんこう)の
   いしぶみ高き湊川 ながれて世々の人ぞ知る

六五 おもへば夢か時のまに 五十三次はしりきて
   神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩

六六 明けなば更に乗りかへて 山陽道を進ままし
   天気は明日も望(のぞみ)あり 柳にかすむ月の影


童謡唱歌


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こきりこ節

五箇山の民謡 こきりこ



「越中おわら」で知られる富山県には
「古代神」「麦屋節」
「といちんさ節」「せりこみ蝶六」など
民謡が多数あります。
中でもとりわけ有名なのが
五箇山地方の民謡「こきりこ節」でしょう。



「はれのサンサもデデレコデン」という囃子は
音楽の教材に採用されていたこともあり
地元の富山県以外でもよく知られています。





毎年9月になると農作物の収穫を祝い
南砺市城端町ではむぎや(麦屋)祭、
そして五箇山の白山宮では
こきりこ祭が開催されます。



綾蘭笠をかぶり狩衣を着て
ささらという楽器を持って
踊るいでたちは現存する日本最古の
田楽のひとつで貴重な存在といえます。
地元だけではなく他県にも愛好者は多く
実際にこの祭礼を見るため
毎年のように全国各地から
多くの観光客が押し寄せるそうです。



このときに使用されるささらという楽器は
地元のお土産屋さんで買うことができます。
編目を上にして「カチャカチャ」と鳴らすのは
結構技と力が必要で一種の職人芸といえるでしょう。





こきりこ節

こきりこの竹は 七寸五分じゃ
長いは袖(そで)の じゃまにカナカイじゃ
マドのサンサは デデレコデン
ハレのサンサも デデレコデン

踊りたか踊れ 泣く子をいくせ
ささらは窓の もとにある
マドのサンサは デデレコデン
ハレのサンサも デデレコデン

向かいの山を かづことすれば
荷縄(になわ)が切れて かづかれん
マドのサンサは デデレコデン
ハレのサンサも デデレコデン


北陸民謡


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どじょうすくいで有名な安来節

どじょうすくい


安来千軒名の出た所 社日桜に十神山
出雲旅路で安来のまちは 忘れられない唄どころ
何はなくとも出雲へござりゃ 心尽くしの安来節
出雲名物荷物にならぬ 聞いてお帰れ安来節





江戸時代の末期にその原型ができたと言われる安来節。
春の花見シーズンに開催される「お糸まつり」という名は
安来節の知名度を全国区のものとした
渡部お糸を称えたものだといいます。
この安来節と切っても切れない関係にある
どじょうすくい踊りと共に
その歴史の深さとルーツを探ってみましょう。


安来節の起源は、今から三百年余り前、
まだ明治維新前の江戸時代のさなかのことです。
時は元禄太平の世、ちまたでは大衆文化が花開き
歌舞音曲の流行華やかなりし頃でありました。
その頃の、出雲の国の安来の郷はというと
波静かなる中海に面した天然の良港。
ここでは奥出雲地方で採れた米や砂鉄を搬出するため
物資の集散地そして山陰地方の一大主要拠点として
大いなる繁栄をきわめていました。


その頃はは全国津々浦々を巡る北前舟等の寄港も少なくなく
船乗りの出入りは激しいかったようで
彼らを通じて一娯楽としての民謡の交流も盛んでした。
「佐渡おけさ」「追分節」等々の民謡がよく歌われていたことが
当時の記録から分かっています。




そんな折、船乗達で賑わう安来の花街には
「おさん」という美声の芸妓がおり、
これらの民謡をベースに自分でアレンジいたしたものを
「おさん節」と称して節回し面白く歌っていたものが
今日の安来節の原形だといわれています。


文明開化の明治になって
安来の郷の研究熱心な人々の手によって
「おさん節」に研鑽労苦が重ねられて
未完成であった安来節の姿が徐々に
整えられていきます。
そうしてこの安来節は出雲地方で大流行しました。
さらに明治44年には正調安来節保存会が創設。
名実共に安来節を不動のものにしました。




そして大正時代に入りのちの安来の名誉市民となる
「渡部お糸」という芸達者な女性が
三味線の名人「富田徳之助」と共に一座を組み全国巡業。
その際に、行く先々で大好評を博した結果、
一介の地方民謡だった安来節は全国区の地位にまで
押し上げられるることとなりました。
そしてついには、当時の芸能人の憧れの的であった
東京鈴本亭の舞台に立ち、大衆芸を芸術の域にまで高めました。


お糸一座の活躍はまだまだ止まるところを知りませんでした。
東京・大阪に安来節の上演専門館まで誕生させるのみならず
朝鮮半島・台湾・中国東北地方にまで遠征し巡業。
日本だけでなくアジアにも安来節を広めました。





そしてなんといってもこの安来節と共に生きてきたのが
皆様お馴染みの「どじょうすくい踊り」。
「あら、えっさっさ~」の掛け声とともに始まる
この踊りの由来は江戸時代末期にまでさかのぼります。


いつの時代でも「のんべえ」はいたもので
それは安来の郷とて例外ではありません。
ある日のこと、ドブロク徳利を後生大事に抱えた
「のんべえ」達が近くの小川で捕ってきた泥鰌を肴に
いつもの酒盛りを始めました。
そんな時、ほろ酔い気分も手伝ってか
その泥鰌を掬う仕草を安来節に合わせて
即興的に踊ったのがその始まりだといわれています。


初めは野良着姿の野暮ったい
「どじょうすくい」踊りでしたが、長い歳月を経て
リズミカルに形作られていきました。
そしてお糸一座の活躍とも相まって、次第に宴席をはじめとする
大衆の生活の中に溶け込んでいきました。
今では「安来節」と言えば「どじょうすくい」を連想されるくらい
切っても切れない、一心同体の間柄になっています。


全国にその名を知られ多くのファンを持つ「安来節」。
それは、安来の人々が育んできた暮らしの唄です。
歴史の変遷を経て来た現在の安来市に
その軽快なリズムが流れるとき、
米や砂鉄の積み出し港として賑わった
往時のたたずまいを偲ぶことができることでしょう。


今日から踊れる!! どじょうすくい 安来節


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